リセッションと
羅災を乗り越えて
百折不撓
経済破綻、震災、感染など、歴史的試練に
原点を守り通して乗り越える
創立者が掲げた「真心で人をもてなすこと」この原点は、70年を経た今も、私たちの企業理念の核として変わらず息づいていますが、その歩みは決して平坦ではありませんでした。
日本経済の急激な成長と停滞を繰り返す中で、当社もまた様々な試練に直面してきました。
1989年、バブル経済の崩壊により、外食産業全体が急速な景気後退に見舞われました。華やかさがもてはやされた時代から、堅実で価値あるサービスが求められる時代へと大きく舵が切られたこの転換期に、私たちは“原点に立ち返る”ことで乗り越えてきました。
豪華さではなく、人と人とのつながりにこそ価値を見出す経営姿勢が、お客様との関係性を再構築する土台となったのです。
1995年には、阪神・淡路大震災が発生。当社の山陽営業部・神戸地区13店舗が被災し、営業の継続が困難な状況に陥りました。未曾有の災害に見舞われながらも、スタッフ一人ひとりの安否確認と安全確保、そして雇用の維持を最優先に行動しました。
被災地での営業再開にはたくさんの時間を要しましたが、地域の皆様とともに歩む姿勢を貫いたことで、やがてお客様が再び足を運んでくださるようになったのです。
2001年には、国内で初めてBSE(牛海綿状脳症)が確認され、食の安全が社会全体の関心事となりました。特に外食産業への影響は大きく、当社も例外ではありませんでした。
信頼を築くには時間がかかる一方で、失うのは一瞬。その現実を痛感しながら、私たちは衛生管理体制を再点検し、産地や仕入れ先の透明性を高める取り組みに注力。この経験は、のちに他の危機に直面した際の対応力を育む礎となりました。

どんな危機にも、お客様に選ばれる価値と
存在意義を追求
2007年から2010年にかけて、世界的な金融不安や経済停滞を背景に、当社も店舗の統廃合を断行。4年間にわたって100店舗を超える閉店という大規模なリストラクチュアリングを余儀なくされました。
しかしこれは、単なる縮小ではありませんでした。チェーンから個店へ「より選ばれる店」を残す選択といえました。環境が厳しさを増す中でも、お客様の期待に応えうる価値を追求するための戦略的判断でした。
つまり、事業のスリム化と再集中により、店舗一つひとつが持つ本来の魅力が際立ち、結果としてブランドの信頼性が高まることになったのです。
2011年の東日本大震災では、仙台のエスカイヤクラブが被災。想像を絶する混乱の中にあっても、阪神・淡路大震災の時と同様、まずはスタッフの安否確認と安全確保が行われ、そして顧客対応の整備に取り組みました。
人が集う「場」を提供する企業として、私たちに何ができるか。営業再開の時期や形を急ぐのではなく、心の復興を支える拠点として機能することが、店舗の存在意義であると再認識する契機となりました。
これまでも、これからも、
「人が主役」にこだわっていきます
2020年には、新型コロナウイルス感染症の拡大により、全国的な緊急事態宣言が発出。当社も多くの店舗がやむを得ず臨時休業や時短営業を実施しました。
前例のない事態に、飲食業界全体が大きな衝撃を受ける中で、私たちはまず「人」を守ることに力を注ぎました。従業員とその家族の健康を最優先に、柔軟な勤務体系と衛生管理体制を整備したのです。さらに、店舗ごとの判断を尊重する分権的な運営により、混乱を回避しながらオペレーションを果たし、未曾有の困難を乗り切りました。
この時期、私たちは改めて“お客様との関係性”の強さを感じることができました。営業休止中にも多くの励ましの声が寄せられ、「またあの店に行きたい」「再開を待っています」という言葉が、現場の力となりました。
営業再開後も、店舗ごとに細かな感染対策を講じながら、お客様と従業員の安心を両立させる運営が徹底されました。
社会の大きな変化に直面しながらも、誠実に向き合い、関係性を築いてきたことが、信頼というかたちで返ってきた時間だったといえます。
そして、創立70周年を迎えた2025年。私たちは今、過去の経験を踏まえながら、新たな一歩を踏み出そうとしています。
これからの飲食業は、ただ美味しい料理を提供するだけではなく、「誰と、どこで、どんな時間を過ごすか」という体験そのものが価値となります。
だからこそ私たちは、“人が主役”である店舗づくりに、今後もこだわり続け、
豊かな人間性が活きるサステナブルな
価値を創出していきます。
